存在 意識 至福
ヨガでは、われわれの本性は至福である、とされています。
インドの聖者、ラマナ・マハルシさんは、覚醒とは存在 意識 至福 であると仰っておられます。
つまり、われわれ一人一人(のようにみえている)は、
至福そのものである、ということになります
そうでないと感じたら、認識したら、意識したら
それは偽り、ということになります
そうでないと捉えるのは、われわれのエゴ、表面意識、顕在意識
だけであるのかもしれません
しかしながら、
至福の存在であるわれわれをどのように実感、体験するのか?
それを遮っているものが、自身のエゴ、顕在意識、表面意識だとするならば、
なぜそのように遮るのか?
この辺りが、私自身を含めて、疑問が拭い去れないように感じます
迷える子羊たち
迷うこと自体が、体験したいこと
あるいは迷いを克服することが至福
というような説明を聞いても、言葉だけがスーッと
すり抜けてしまうような感もあります
根源が至福ならば、
限りなく自然に体感、実感できるような気がしておりますが、
いかがでしょうか?
ありがとうございます!
- 今人
- 2017/05/17 (Wed) 20:50:11