罪と愛
指摘するのが下手とは
それが間違いと言いながら
同時にそれが悪い(罪悪)だと怒って咎める言い方にある
間違いならば訂正可能だが
罪悪感とは永遠に訂正不能な罪という意味合いがあるから
相手が悪いと罪悪感を抱かせたなら相手はその間違いを正したがらないということ
誰だって罪の屈辱感は避けたい

不登校のひきこもりというのは大抵何かしらの苦痛を感じているが
確かに普通という観点からは間違った状況に居るのは承知だが間違ってるだけならば訂正する手段はあるが
更に不登校が「悪い」ことだと罪悪感を抱かせられたなら
苦痛を受けたうえに罪悪の屈辱感の中では本人の意志は訂正不能でも仕方ない

天国への扉の鍵を何処に隠すか?
世界の中に生涯をかけて宝探しをさせておけば決して見つけられないだろう
まさか自分の心の中に天国への扉を開く鍵があるとは気付かないだろうからな
他人の中に罪を見てそれが自分の心の投影だと自分の心の内の罪を赦すことが鍵だとは思うまい

私が他者の中に見えている劣等性と罪悪の真実の姿は
私の心の愛の無い投影です
私が他者に見えている劣等性と罪は私の心のものです
世界と他者に正せと要求をするのではなく
私の心の内の罪を赦すことです
罪を赦せるのは愛だけです
心に愛があるのならその人の精神状態は天界の領域へと引き上げられる
  • エンジェル・ダスト
  • 2020/05/19 (Tue) 09:09:11
Re: 罪と愛
無罪とは安全であるという意味だが
私は無罪になるために罪を他者に投影して
他人の中に罪を見れば自分はその罪を捨て去れると信じている
「彼はどんな酷い仕打ちを受けたとしても文句を言う資格すらない罪があるが私は無罪でよかった」
と私は他人に有罪宣告をすることで私自身の無罪宣言をしたいのだ
  • エンジェル・ダスト
  • 2020/05/19 (Tue) 16:30:19

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