早朝のうす暗い海辺に立つと
早朝のうす暗い海辺に立ちました。

五年前に一月の寒い早朝、
グランドキャニオンの岩に立ったときのような感覚を思い出しました。

おもしろい体験なので、dawn-watcherさんとやりとりしてみたくなりました。

以下。


Aさんは75歳、男性、建築家です。
信仰が熱心で、神も魂も霊のことも信じています。

Aさんとこのような会話をしました。
私はこの現実の世界は美しい「光」「愛」だと自分の体験を話しました。
Aさんは「美しい光の世界に、なぜ、ウクライナのような戦争が起こるのか」と私に聞きました。
私は「量子論や素粒子の世界になるので、言葉では説明できない」と言ったら、
Aさんは自分が読んでいる「量子論の本」を三冊みせてくれました。そして、
四元素と湯川秀樹のことが書いてある切り抜きをみせてくれました。


このようないきさつがあり、
私はAさんとAさんの家から歩いて10分のところにある海に行きました。
浜辺は暗くて、激しい波の音とかすかに波が光っていました。


そのときの様子です。

11月30日、朝5時40分、小田原の海辺に立ちました。
私は波に合わせて呼吸をしていると、私は波になる。
やがて、海になる。空と大地の区別のない世界になる。
このとき「私」はない「ただ、在る」。
感知する意識がある。
やがて、波の音がちいさく聞こえる。


意識を現実に戻すと、
目の前の景色は四次元、五次元の世界が現れていました。
すべてが同時に存在する世界なので、(四次元も五次元も三次元も同時に存在)、
ウクライナの戦争も戦争のない世界も存在している。

以上が私が感じた世界です。


しかし、こうしたことを誰かに説明するのに無理があります。
「意識の宇宙のアリス」の本の「存在と情報と意識」に書かれてあるとおりです。


さて、私はそれを文字にしてAさんに伝えたいと思っています。
――黒い動き 人間の形がない、・・・・
海という名前がない、雲という名前がない。
刻々と黒い形は人間の形になる。
陽が昇ると次第に、人間がAさんだとわかる。波も雲も色の世界になる。
人間が作った世界が現れる。

Aさんは新聞を広げると、ウクライナの戦争や社会のできごとの文字が。
物質の世界は、一つひとつ名前がついている。そして、意味がある。
小田原城は○○、かまぼこは○○、ノーベル賞、コロナは怖い。
今日の海は荒れているな~、

海辺の黒い形の動くものはなんだったのだろう?
人間の形がない、・・・・、海という名前がない、雲という名前がない。
一歳の子どもはまだ、海も雲も知らない、文字も知らないから、
ウクライナのことも知らない。

これが、Aさんの意識。



物質は四元素で構成されているとは?

アリストテレスは四元素を唱え、支持されてきました。
ノーベル賞の湯川秀樹も四元素を支持しました。
しかし、原子の発見で四元素は否定されました。

デカルトの二元論からスピノザが一元論を唱え、
哲学、宗教、精神、最近は量子論で一元論を証明しようとしています。



質問です。
一元論も二元論も人間が作ったことばであって、私が海と大地とひとつになり、
「私」が消えて、意識だけになったとき、私がいる場所は一元論でも二元論でもない原子の世界?
時間も空間もない世界、と考えています。
四元素は物質の世界に存在しているが、
意識の世界には四元素は存在しないというのが、私の感想です。


以上です。

dawn-watcherさんの得意な分野ですので、感想をきかせてください。

「意識の宇宙のアリス」をしばらくぶりに広げました。

数年前まで、100回近く、辞書がわりにしていましたが、
あらためて読んでみるとすごいことが書いてありますね。



  • 春風のささやき~
  • 2022/12/03 (Sat) 10:32:26
Re: 早朝のうす暗い海辺に立つと
もし、春風のささやき〜さんが、スピノザを知っておられるのなら、私の考えはスピノザの一元的汎神論に近いと言っておきましょう。

ただし、神が世界を作ったというと、作られた世界は「神の外」にあるような感じがしますね。けれども、「神の外」というものはありません。神が想像した世界は、神の見ている「夢」のようなものです。私たちの見る夢を、私たちは自分の頭の中にあるように感じますが、それを真似て言えば、私たちは「神の内部」にいるのです。

神というのは純粋の意識です。意識というのは。考えたり、想像したり、感じたり、感動したりする「能力」です。神が想像する能力を持っているのではありません。想像する能力そのものが神なのです。

神は「能力」ですから、神には形も大きさもありません。それが存在するための空間や場所や時間も必要ありません。時間とか空間とか物質とか・・・そういうものは全て、神の夢を構成する素材にすぎません。

神の夢は深い階層構造を持っています。夢の中の夢の中の夢・・・みたいなものです。

春風さんが、肉体を失ったと思った時は、あなたは、その階層の少し上の方に行っていたのです。





  • dawn-watcher
  • 2022/12/04 (Sun) 15:12:35
Re: 早朝のうす暗い海辺に立つと
おはようございます。

自分の経験をしてきたことをふり返ってみると、
この世界は光が点滅して、動いているように見えるし、
私もまた光で、動いているような感覚でいるけど動いていない。

海辺のAさんも私であり、私以外誰もいない。

この世は幻想だ。とまだわかっていましたが。
人間をやっていると、つい、忘れていました。

神のなかの夢だと思い出しました。

じゃ、それでおしまいというには、謎が残ります。

復習をかねて、小学生にもわかる「ライプニッツのモナド論とアトムの動画と、
スピノザ「エチカ」を見ると、よ~く理解できました。

で、その謎というのが、「自由意思」について。

①原因と結果は法則なのか。

仏陀の世界にでてくる、原因と結果は違うように気がしますが。

②神の夢の階層は、くっきり分かれているのでなく、
一瞬、一瞬、あたこちの階層をいったりきたりしている。

たとえば、私は今コーヒーを飲んで、エチオピアの風土に浸ったり、
数日まえに美術館で縄文土器の前にたたずんで紀元前の縄文生活に浸ったり。
今、コーヒーをのみながら縄文土器の写真をながめたり、
テレビのチャンネルを変えるように、夢の階層を飛び回っている。
しかし、肉体がある以上自由がない。

③ところで神の夢のシナリオの配役は誰がきめているのですか。



①と②と③について、知りたいです。
お考えをきかせていただけますか?













  • 春風のささやき~
  • 2022/12/06 (Tue) 10:09:24
Re: 早朝のうす暗い海辺に立つと
①ご質問の意味がよくわかりませんが、法則といえば法則ですね。

私は、原因と結果を結ぶ法則に、二種類あると考えています。一つは通常の物理学的な原因と結果です。例えば、誰かが自動車にはねられて死んだとします。この人の死の原因は自動車にはねられたこと・・・というのが通常の物理学的な因果の法則です。

けれども、今この事故が小説の中の出来事だとします。この物語には作者がいます。今、作者が、ある登場人物について、「この人物の役割はもう終わったので、この辺りで退場してもらうことにしよう」と考えたとしましょう。そして、その退場の仕方として、自動車事故という方法を選んだ・・・とします。するとこの人の死の本当の原因は、作者がもうこの人は要らないと決めたところにあるのです。仏教では物事が起こるには因と縁が必要だと言います。今の例で言えば、物語の作者の決定が因、自動車事故が縁、死が果ということになります。

唯物論で考えれば、物理的な原因結果の法則になりますが、この世の背後に「隠れた意図の世界」があって、それがこの世の出来事を動かしているということを認める仏教では、真の原因は「隠れた意図の世界」にあり、それがこの世(物理的世界)に縁を求めて結果を生むと考えるわけです。


②階層の間をある程度行ったりきたりするということは、その通りだと思います。


③神の夢、あるいは神が作っている物語、ですから、配役を決めるのももちろん神です。神はシナリオの大筋を描き、配役を決め、物語をスタートさせます。あなたも私もその物語の登場人物ですから、神があなたという登場人物を設定しなかったら、あなたは生まれることはなかったはずです。

では、あなたのすることなすこと全部、神が決めているのでしょうか・・・???

この問題は自由意志の問題として、古くから議論されてきました。けれども、神が全てを決めているのなら、自由意志は存在しないというのは、あまりにも単純すぎる結論だと思います。私たちが、自由意志をもつためには、神がそう決めればいいだけの話です。神が、物語の中の登場人物に、「このものたちは自由意志をもつ」と決めたのです。

これについて面白い話があります。もうかなり前のことですが、ある作家がこんな話を、新聞のコラムで書いていました。この作家は新聞小説などを書く人ですが、こういう連載物を書く時、最初は大変なのだそうです。登場人物を決め、ある程度のあらすじを考え、物語をスタートさせます。しばらくは大変だそうです。ところが、ある程度物語が進むと、登場人物が作者の頭の中で勝手に動き始めるのだそうです。「そうなると楽なものだよ」と、この作家は書いていました。「自分はただの記録係になればいい・・・」のだそうです。

私は、神もこの作家と同じことをしているのだと思っています。神が私たちひとりひとりをスタートさせたのは、私たちの時間で言えば、ほとんど無限に近い大昔のことだと思います。それ以来、私たちは自分の意志で、自由意志で、数えきれない転生を繰り返し、魂の物語を紡いできたのです。

神はなぜ、そんなことをするのでしょうか。神はなぜ私たちを作り出し、長い長い転生の旅に送り出したのでしょうか。

それは私たちが感じる感情や感動を神も感じたいからです。私たちが感じる喜びや悲しみ、怒りや恐れ、希望と絶望・・・それを感じたいがために、神は無数の魂を作り出し、その中に個人個人の「意識」を持たせたのです。

なぜ神はそんなことをするのでしょうか。
それは、そうする以外に、神が感動を体験する方法がないからです。









  • dawn-watcher
  • 2022/12/07 (Wed) 11:35:51
Re: 早朝のうす暗い海辺に立つと
ほぼ、私の求めている答えでした。


>原因と結果は法則なのか。について。
私が知りたかったことは、宗教のいう因果応報の法則のことかと心配しました。
★ほとんどの人は「原因と結果」を宗教的にとらえる。かっての私がそうだった。



自由意思についてですが、
ブッダの原始仏教に出てくる「肉体がある以上、人間は自由になれない、
苦しみは消えない」(もちろんよろこびの感情をふくめて)ということばは
「スピノザの「エチカ」の自由はない、
と同じことをいってるのではないとか思います。


つまり、私という配役を退場させる「肉体がなくなる」ことは、
神が決定することなので、これは私の自由意志でできないということですよね。

死後の次の配役も決まっている?
いや、私は次の配役の準備をしておこうと思います(笑)


dawn-watcherさんは自分の自由意思の扱いについて、
どのようなお考えですか?

  • 春風のささやき~
  • 2022/12/07 (Wed) 13:03:15
Re: 早朝のうす暗い海辺に立つと
自由意志について。

この問題は、私たちが何を「自分」だと考えるか・・・ということに関係します。

原始仏教の仏陀が「肉体があるかぎり」と言ったのは、私たちが肉体を自分だと考えているかぎり、「苦しみは無くならない、不自由は無くならない」ということなのです。

けれども、私たちは本当は肉体ではありません。五蘊皆空を教えるのは仏教ですよね。五蘊皆空とは簡単に言えば、物資世界の全ては空(無、夢、幻)であるという意味です。


私たちは本当は肉体ではなく、肉体を超えて存在する意識です。普通の言葉では「魂」、最近はハイヤーセルフなどとも言われますが、肉体を超えた意識があって、それが私たちの本当の自分なのです。もし私たちが、その本当の自分を、自分として自覚することができたら、肉体の出場退場を決めるのは自分自身になります。

本当の自分は神から「自由意志」を与えられていますから、そこで、好きなように、他の配役のハイヤーセルフとも協力しあって、一つのドラマを演じていきます。

自由意志は演じられるドラマの中にはありません。そのドラマを作るハイヤーセルフのレベルにあるのです。





  • dawn-watcher
  • 2022/12/07 (Wed) 21:55:25
Re: 早朝のうす暗い海辺に立つと
自由意思について、もう少しつづけさせてください。

>自由意志は演じられるドラマの中にはありません。そのドラマを作るハイヤーセルフのレベルにあるのです。

ハイヤーセルフのレベルにあるのです。←これについて。


海辺にいたAさんは、信仰熱心で芸術家です。

この世は光を見抜きたくて、量子論の本も読んだりしています。
Aさんは私の身内で、Aさんの宗教は私も信者でした。
私は11年前に脱会しました。

このときに、「意識の宇宙のアリス」と出会ったわけです。
脱会するときに、地獄にいってもいいという覚悟をした。
これを自由意志というなら、かなり強力なエネルギーです。

潜水服がはがれ散って光になって大空を舞うような・・・。
世界が光に満ち溢れていました。


Aさんに話を戻しますが、
Aさんはこの世界は光だと知りたがっているのは、Aさんの守護霊なのか
それともAさん本人が強く望んでいないからか・・・考えていました。

そこでハイヤーセルフのレベルが出てきました。
なるほどね。


もうひとつ、他のハイヤーセルフと協力してというのは
他のハイヤーセルフとは誰のハイヤーセルフですか

たぶん、私はdawn-watcherさんのハイヤーセルフに協力してもらっているのでしょう。

Aさんのハイヤーセルフは?
しかし、本人の自由意志はそこまでいっていない。


わがやの場合、夫も瞑想したり、神社にいったり
私の話をおもしろがってきいていましたが。
おれはもういい、といいました。笑

(夢の中の夢と思うと、この夫も私だと思うとおかしいやら、ややこしいやら)

  • 春風のささやき~
  • 2022/12/08 (Thu) 08:11:31
Re: 早朝のうす暗い海辺に立つと
自由意志の問題は、考えるとややこしいですよ(笑)

なぜややこしくなるかというと、私たちは「個」という考えに捉われるからです。ハイヤーセルフは「セルフ」」ですから自分なのに、ハイヤーセルフの意志は自分の意志ではない・・・というふうに、区別してしまうので、話がわからなくなるのです。

私たちの世界は、例えて言えば、ドラマです。肉体の私たちは、衣装をつけて舞台に上がっている、その演じられた「役」の姿です。衣装の中に入っているのは俳優です。それがハイヤーセルフです。でもドラマは俳優が勝手に作っているわけではありません。俳優たちを指揮する舞台監督がいます。舞台監督は脚本に従います。脚本を書いたのは脚本家です。脚本家は、誰か他の作者が書いた原作を舞台劇に作り替えているのかもしれません。そうすると原作に制約を受けます。そのほかにも、時代考証をする人や、衣装のデザインをする人など、いろいろな立場から、助言や監査をする人たちがいて、一つの舞台が出来上がっていきます。

私たちの人生も、そのようにして出来上がっている霊的世界でのドラマです。「自由意志」というものを、誰の指図も受けないという意味に考えるのであれば、結局のところ、完全な意味で自由意志を持っているのは「神」だけではないでしょうか。


別の見方をしてみましょう。

「自由意志を持った人間」を演じるドラマで、「演じられた人間」に自由意志はあるのでしょうか、ないのでしょうか。それを演じる俳優に、自由意志はあるのでしょうか、ないのでしょうか。


神がある魂を作って「旅に出なさい」と言います。その魂は、自分の好きなように勝手気ままに旅をします。けれども、「神に言われた通りに旅をする」という時点で、もうその魂の自由は制限されているのですよね。そのように考えると、私たちはさまざまな程度に制限された範囲内で自由に振る舞える「部分的な自由意志」を持っていると言えるのかもしれませんね。






  • dawn-watcher
  • 2022/12/08 (Thu) 16:35:05
Re: 早朝のうす暗い海辺に立つと
しばらく間が空きましたが、

>「部分的な自由意志」でしっくりきます。
では、部分というのは何かを含めて「自由意志はあるか」をあらためてスレッドを立てることにします。

今回はここまでの話しをまとめたいと思います。

人間は神の描く夢をみている。
配役を決めるは神。

人間=魂=意識
魂は母親のようなハイヤーセルフがずっとついて見守っている。

これは管理人さんの著書にも書いてあるとおり、私もそう思っています。

>ハイヤーセルフは「セルフ」」ですから自分なのに、ハイヤーセルフの意志は自分の意志ではない。

これがわかりにくいので、これを現実の世界におとしこんで、

自分はコロナに感染したかもしれない。
のどが痛い、やっぱりコロナかも。
どうしたらいい、

魂は夢だと知っているからおそれていない。
しかし、人間本体がコロナに感染した~と怖がっている。
そこで、ハイヤーセルフがこれは夢だよと
コロナにかかってないから。夢から覚めなさい、といっている、

というふうに夢に話にはもっていかないでほしいですね。
なぜなら、世の中のほとんどが「夢だと知らない」から。

私が思うには、
母親はわが子がコロナかもしれないと知ったら
うがいをしなさい
お日さまにあたりなさい。
よく、睡眠をとりなさい
とやさしくいってくれるように、
ハイヤーセルフもこのように、ことばを変えてやさしく語りかけている。

しかし、人間本体が母親(ハイヤーセルフ)のこともきかないで
わあわあ、コロナに感染した~こわいよといっている。

これが自我、肉体がある限り苦しみから解放されない。

魂とハイヤーセルフと人間本体の三つの関係を
コロナに感染したかもで説明してくださると、
今、この現実に生きている人たちにとってもわかりやすいと思います。




  • 春風のささやき~
  • 2022/12/11 (Sun) 14:56:08
Re: 早朝のうす暗い海辺に立つと
春風さん、わかりやすい説明をいくらしても、問題は解決しませんよ。肉体に病気や死がある限り、そしてそれを恐れる心がある限り、悩みは解決しません。悩みが解決するためには、肉体に病気も死も起こらない世界になるか、それを恐れる心がなくなるか、どちらかしかありません。


肉体に病気も死もない世界は、うまくいけば、もうすぐ来るかもしれませんよ。

それが来るまでは、それを恐れるのを止めるしかありませんね。
でも、止める止めないはその人の問題です。どんなに恐れる必要はないと説明しても恐れる人は恐れます。

わかりやすい説明をして、それで人が救われるのなら、人類はとっくの昔に救われていたでしょう。
私よりももっと立派な説明をした人が、掃いて捨てるほどいたのですから。


・・・と言うところで、終わろうかと思ったのですが、もう少し説明を追加しましょう。

春風さんが「人間本体」と書かれたのは肉体のことだと思いますが、まず「魂、ハイヤーセルフ、肉体」とこのように並べること自体が既に間違っているのです。それは「世界、日本、東京」と並べて、それぞれ別のものだと言っているようなものです。春風さんが東京に住んでいるなら、同時に日本にも住んでおり、世界にも住んでいます。

同じように、私たちは、肉体であると同時に、ハイアーセルフであり、魂であり、そして、神そのものでもあるのです。病気になれば、肉体は死ぬかもしれませんが、ハイアーセルフも魂も、もちろん神も、決して死ぬことはありません。このことを理解し・・・頭の役目はここまでです・・・あなたが、「ハイアーセルフの意識で生きる」ことができるようになれば、病気も死も怖くなくなるでしょう。

自分は「肉体ではないんだ」ということを深く考えてください。あなたは今既に、ハイアーセルフであり、神そのものであるのです。何も病気をしなくても、肉体は、いつかは死にます。けれども「あなたは」死にません。「肉体は死んでも自分が死ぬわけではないんだ」と言うことを深く考えてください。もしこれが納得できるようになったら死も怖くなくなるでしょう。

それができるようになるまでは、病気を恐れ、死を恐れ、何かを恐れながら生きていくしかありませんね。諦めてください。





  • dawn-watcher
  • 2022/12/13 (Tue) 15:23:28

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