赦した者と赦された者、同じ光を分け合って
無意識の心の闇が疼く(うずく)時、
不快感から文句を言いたくなる衝動が発生する。

私が罪悪のある者ではなくて、
アイツが罪悪の根源だと考えるから文句を言いたくなるのです。

しかし文句を言うことは心の闇を解消するどころか闇はより深くなる。
文句を言うことで心の闇は増大して、私は不安と恐怖に囚われる。

彼の中に罪悪を見たがる心が私を闇に縛り(しばり)付けているのです
「アイツに罪悪の根源がある、私は悪くない」と考え続けることは私の心の闇と苦痛を増大させる。

彼は闇の中には居ない、そして彼を赦すことで、私も光の中へと入れる。

赦した者と赦された者、同じ光を分け合って
  • エンジェル・ダスト
  • 2023/03/21 (Tue) 07:23:12
今蘇る(よみがえる)「はるかなる故郷」での記憶
心の闇を消し去る方法の第一の障壁(しょうへき)
「他人のせいで苦しい思いをしたと考えること」

私は何にも悪くないのにアイツのせいでと、
私に罪悪はなくアイツに罪悪があると確信しようと強く念じているが、
これが自分の心の闇を増大させる。

私が彼の中に見ている罪悪は、私の心の闇が外に映し出されたものです。

私は嫌なものを彼に見て彼に罪悪をなすりつけることで私は解放されると信じているのです。
彼を闇の中に閉じ込めれば私は闇から解放されるのか?もちろん違う。
罪悪は彼のものではなく苦痛の根源は自分の心の闇にあると認めること、これが第一のステップです。


第二の障壁
「自我は赦しを知らない」

赦そうとして、起こったことを吟味(ぎんみ)したけど、やはり赦すことはできない。
これは当然である。なぜなら自我は赦しを知らないからである。

自我 それは「私はひとりだ」という闇の信念である

心に闇があれば光もある。
神が私たちに授けた私たちを永遠(とわ)に繋ぐ不滅の絆である「たった一つの生命(いのち)」
これこそが光である。
その神からの私たちへの「たった一つの生命(いのち)」の譲渡は永遠であり既に完全に達成されている。

しかしあなたは時間の中で忘れているのでそれを認識していない。

あなたは「今は何も貰ってないのだから何も無いじゃないか?!」と苦情を言いたくなるかもしれない

あなたがかつて神と全てを分かち合っていた「はるかなる故郷」での記憶、 
本当に忘れ去ったと思いますか?
  • エンジェル・ダスト
  • 2023/03/22 (Wed) 06:11:34
不幸になる考え方というものがある
不幸になる考え方というものがある。
それが被害者意識を持つことです。

嫌な事があった時に、
反射的に自分を庇う(かばう)ために被害者意識を持って他人を非難するのです。

しかし他人の中に罪悪を見るのは、
自分の無意識の心の闇が映し出されたものなのです。

被害者意識で他人の中に罪悪を見ることで、
「私は嫌がっていて不安で猜疑心と恐怖を感じていてそして被害者だと考える」のです。

こんな酷いことがあるでしょうか?

これが心の闇の部分が望んでいることなのです、それが私の中の病んでいる部分です。
これは癒しを必要としている病気なのです。

それには彼が当然の権利として有している彼の無罪性を認めることです。
私の中の闇を彼の中に見ることで、彼を闇の世界に閉じ込めようとしないこと、
その2つが私自身を心の闇から解放する。
  • エンジェル・ダスト
  • 2023/03/25 (Sat) 06:18:20
なぜ人生が上手くいかなかったのか?
なぜ人生が上手くいかなかったのか?
結局過去がそのようになったことには原因があり。

『それはありもしないところに宝があるはずだと、世界の夢を見ていたことにある』

ありもしないところとは外の世界のことです。

それは世界がより多くの何かを私にもたらしてくれるという夢です。

宝くじで一等前後賞当選の夢や、
自己を称賛してくれる多大な名声を得る夢、
そういった夢が世界にあると私は思い込んでいた。

夢とはその本質はどれも恐れの夢である、
したがってそれをどんなに心地よいものに偽装して夢を見たとしても、
最後には恐れと絶望が露わに(あらわに)なる、
なぜならそれが夢の正体だからである。

外の世界に何か素晴らしいものが見つかるという夢を見るのは止めて、自分の心の内側を探そう。

私たちはそこでなら必ず見つけ出せるだろう
  • エンジェル・ダスト
  • 2023/03/27 (Mon) 00:53:10
虜(とりこ)
不安や心配や恐れの気持ちになった時は内側の無意識の心の闇が疼いている。

不安になった私は原因を外の世界に見つけ出そうと、
恐れの目で世界を凝視(ぎょうし)する。

心の闇の部分である自我は、
「もっと見るねん」
と私の目を世界に釘付けにして虜(とりこ)にさせたがる。

私の気になるから確認したいという気持ちは、自我の誘惑である。

私は世界から目が離せなくなり、考えに取りつかれる。
まさしく精神失調である。

自我は「もっと見るねん」とあなたを誘惑する、
虜になってはいけない。
  • エンジェル・ダスト
  • 2023/03/28 (Tue) 06:20:11
答えを知らぬ者に問うてはならない
無意識の心の闇が疼いた時、
私は不安と恐れの気持ちに囚われるが、
その時自分ひとりの頭に頼って答えを出そうとしてはならない。

自我は赦しを知らない。
答えを知らぬ者に問うてはならない。

無自覚の心の闇が疼いている状態で自分ひとりで考えても自滅に至るだけです。

胃が痛いと胃の存在を感じる。
心臓が痛いと心臓の存在を感じる。
私は問題があると自分ひとりで苦痛を感じることで、私もひとりで存在していると感じることを望んでいるのです。

自分がひとりで存在していると信じることは、心を闇に閉じ込めることです。

心の闇 それは「私はひとりだ」という信念
「ひとりじゃない」って思えたから 叶えれられると思ったんだよ
「ひとりじゃない」って思えた瞬間(とき) 心に光が射して 闇が消え去るのである
  • エンジェル・ダスト
  • 2023/03/29 (Wed) 06:40:00
より多くでなければならない
私たちの欲望は神の愛の代替(だいたい)としての特別なものをこの世界で手に入れることである。
それはより多くでなければならないという幻想である。

より多くのお金、より多くの人間関係、より多くの快楽。
神が与えてくれなかった特別なものをより多くこの世界に求める。

『神が与えてくれないもので私たちが真に満足することは決してない』

あなたが欲しがっているものの正体は幻影である。
より多くかき集めることで実態があるかのように感じられているだけです。

あなたの心の中に鍵のかかった宝箱がある。
あなたは鍵を失くしてしまったと思っているが、
実は鍵がかかっていると思い込んでいただけで、簡単に開けることができる。
  • エンジェル・ダスト
  • 2023/04/01 (Sat) 07:06:14
プライス(価値)
ネガティブに相手の悪口を言って憎悪することの反対をすればいいのでしょうか?
ポジティブに相手を褒めて持ち上げ続けることが愛なのでしょうか?

私に本当に相手の価値を定めることなどできるのか?

完全なる対等性とは、
お互いに罪が無い、
無垢性(むくせい)を共有することで心が繋がっている感覚である。

完全なる無罪性の共有が互いの自由を保障する。
  • エンジェル・ダスト
  • 2023/04/03 (Mon) 06:38:52
心の中の相反する部分
自我とは何か大切なものを忘れてしまった闇の心の部分である。

神が私たちに授けた「私たちを永遠(とわ)に繋ぐ不滅の絆」である「たった一つの生命(いのち)」とは、
心の最も奥で全ての人と繋がっている光の心の部分である。

心の中に相反する部分がある、
闇の象徴である「自我」か、
光の象徴である「不滅の絆」か。

私たちがかつて神とともに楽園に住んでいた頃の記憶。
本当に忘れ去ったと思いますか?
  • エンジェル・ダスト
  • 2023/04/05 (Wed) 06:16:48

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