自我による判断で誰かを悪いと言った時、私はその人に罪があるとみなしている。
そして、その罪の想念に捕らわれているのは彼を指さしてそれを言っている私自身です。
罪の感覚が浮上した時、私はそれを訂正不可能とみなす。
が、その自我の直観は私を騙すものです。
それを訂正可能な誤りであると見る意欲が必要である。
まず他人を悪いと見て私は彼を罪人と見なす。
そして彼を罪ある者にしながら私が罪から逃れることはできないのだから、
私にも罪があると魂のレベルでは認識される。
罪は訂正不可能と思えるので絶対に悪いように思える。
そこで神が私たちに授けた心の絆を信頼することで、彼の罪は訂正可能な誤りであり、しかも私の罪の感覚も誤りであったということがわかる。
これが赦しです。
まず訂正不可能な罪の感覚が浮上し、罪の感覚に気付けたなら「私は間違っていた」と認めることで罪は誤りに変化し訂正可能なものとなる。
そのあと神が私たちに授けた心の絆を信頼してそれと共に誤りを訂正すればよいのです。
なぜこのような物理法則によらない訂正が可能なのか?
それはこの現実世界は私たちが見ている孤独な夢だからです。
孤独の夢の中の法則に従って策略を練っても夢から目覚めることはできないのです。
闇である夢の世界に神が授けた光があなたの心の中にある。
この光を明るくすることが『あなたの夜が明ける時』です
あなたの夜が明ける時
- エンジェル・ダスト
- 2023/06/02 (Fri) 07:37:28