誰が最初の嘘をついた?
かつて「はるかなる故郷」に居た私たちに小さな狂った考えが生じた。
神が創造したままのオリジナルの神の子であることを止めて、
神の子の代用品(パロディー)としての自我を作り出して神から分離したというものです。

神と神の子は一体であり、その一体性から分離したのが自我である。

自我は神からの分離を維持する為に、攻撃を用いる(もちいる)。
神を攻撃することで自我として分離できたのだが、このことで心の闇が出現した。
自我は分離したままでいたいのだが心の闇の責任は取りたくない。
なぜなら神を攻撃したことでどれだけの重罰が追求されるかを恐れているからである。

この世界は鏡であり、私の心の内容を具現化した他者の姿が、私が見ている世界に映し出されるのです。
私の心の闇が、私を誹謗中傷で攻撃してくる他者となって出現するのです。

そして他人が私を誹謗中傷で攻撃してくるのを見ることで、私は被害者となることができる。
私は彼らの攻撃には正当性が無いと被害者意識で怒ることができ、
神に対して、
「私が攻撃したのではありません!私が攻撃されたのです!彼を処罰してください!」
と訴えることができる。

そうして最初に私が神を攻撃したことで心の闇が出現したことが原因なのに、
いつの間にか私が被害者だという話にすり替わっているのです。
これが根深い被害者意識の正体です。

私たちは自分の自我に騙されているのです。
  • エンジェル・ダスト
  • 2023/11/29 (Wed) 06:38:57
心の闇の投影(とうえい)
私には嫌がっていた過去があり、そのせいで他人を責める気持ちがある。

私が他人を責めるのは、「彼に罪悪があるからだ」と私は思い込んでいるが、
本当は私が私の心の闇を感じ取っていて不快に感じているからです。

私は自分の心の闇を直視する勇気が無いので、
その罪悪の闇を自分以外の他人の中に見ることで、私の責任を回避しようとしているのです。

したがって私は、私の心の闇の苦痛の責任を他人にとらせようとしているのです。

そしてこれらの心の働きに私は気付いていなかったのです。

「これは被害者意識だ」と気付いたなら、
他人の罪悪という幻想を赦して(ゆるして)、
心の中で失わぬようにと握りしめていた闇への執着を手放すことです。
  • エンジェル・ダスト
  • 2023/12/02 (Sat) 05:27:47
赦し(ゆるし)は理屈ではなく意志
被害者意識で過去の記憶を解釈する時、その理屈は非常に酷いものとなる。

被害者意識ではなく、赦し(ゆるし)の心を持とう。

答えは、過去を理屈で解釈することではなく、
赦す(ゆるす)という意志(いし)を持つことにある。
  • エンジェル・ダスト
  • 2023/12/04 (Mon) 06:00:32

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