私は時折(ときおり)、心の中で「カス、バカ、間抜け」と、
他者に酷い言葉で悪態(あくたい)をつくことがある。
私はその心の中の言葉に罪悪感を感じて、精神的に体裁(ていさい)が悪いので、
心の中でポジティブな言葉で上塗り(うわぬり)しようとする。
「言葉を間違えた」ことが原因だと思い込んでいるからです。
しかし本当の問題は、
心の中に浮かぶ悪態の言葉という、「形態(かたち)」にあるのではなく、
憎悪(ぞうお)という、心の「内容」にあるのです。
従って、この心の中で悪態をついて、酷い言葉が浮かんで罪悪感を感じた時に、
本当に訂正すべき対象は言葉ではなく、心の中の憎悪です。
心に憎悪という内容があるから、副次的(ふくじてき)に酷い言葉が心の中で発生しているだけです。
「内容」である心の憎悪を保持(ほじ)したまま、
「形態(かたち)」だけポジティブ思考で、心に美しい言葉を浮かべても無意味です。
心に憎悪がある限り、酷い言葉が心に発生することは阻止できません。
もしあなたが、かつて遥かなる故郷で神と神の子の間で交わされて(かわされて)いたオリジナルの関係と、
同等(どうとう)の「内容」をこの世界の他者との関係の中で再現できるなら、
その絆(きずな)は本物である。
この絆こそが光であり、心の中の憎悪を消し去ってくれるだろう。
訂正すべきは「形態(かたち)」ではなく「内容」である
- エンジェル・ダスト
- 2024/12/05 (Thu) 02:38:24