私は過去に達成できなかったことを思い出して、
何々が原因で出来なかったと、憎悪(ぞうお)に囚われる(とらわれる)ことがある。
しかし頭の中のスクリーンに映し出された人物を憎悪することは、自分自身の心を呪うことです。
なぜなら私たちの正体は「たった一つの想念(そうねん)」だからです。
私たちが想念において一つに繋がって(つながって)いるのなら、
私が憎悪する対象に、私とあなたという区別は無いはずです。
頭の中のスクリーンにイメージされた人物を赦す(ゆるす)ことは、
すなわち自分自身を赦すことです。
『赦した者と、赦された者、同じ光を分け合って』
このことが私たちが想念において一体(いったい)であるという、
私たちの絆(きずな)の実在性(じつざいせい)を証明するだろう。
私たちは自分の頭の中のスクリーンに映し出されて知覚したものを世界とする。
私には過去の病気のトラウマがあり、
時折り(ときおり)、頭の中のスクリーンに映し出された過去のイメージを憎悪(ぞうお)する。
しかし、頭の中に想起(そうき)したイメージを憎悪することは、
すなわち私の世界と、私自身を憎悪することです。
知覚している世界とは、自分自身の心を映し出す鏡なのです。
誰かを憎めば、私の世界と私自身の心が呪われる(のろわれる)ことは避けられない。
もし、あなたが頭の中のスクリーンに映し出されたイメージを憎悪することを手放せば、
あなたの見ている世界から罪と苦痛が消えていくことに気付くだろう。
「世界から罪が消えていく
身体の痛みが消えるんだ...」
私たちの正体は「たった一つの想念(そうねん)」
- エンジェル・ダスト
- 2024/12/08 (Sun) 02:38:36