怒りや憎しみで心の闇を倒すことはできない
私は過去のトラウマを思い出した時、それがいかに酷い話だったかを考える。

そして被害者意識で解釈(かいしゃく)して、その酷い話が真実だったと確信(かくしん)している。
「なぜなら私の感覚がそうだと言っているから」です。

だが酷いと解釈することによって、
「それをそのようなものにしたのは他ならぬ私自身である」と認めなければならない。

私が「心の闇」を持っているのなら、
その無意識の心の闇は頭の中のスクリーンに投影され、
映し出されたイメージを憎しみと共に解釈して、その酷い話が真実だったと確信するだろう。

つまりトラウマを頭の中で思い出した時、背後には自分の「心の闇」があるのです。

「怒りや憎しみで自分の心の闇を倒すことはできぬ」
「怒りでも、憎しみでもない。赦しこそが闇を克服(こくふく)し、心に光をもたらすのだ」
  • エンジェル・ダスト
  • MAIL
  • 2024/12/27 (Fri) 05:30:42
人は事実に怒るのではなく、それを酷いと解釈することによって腹を立てるのです
私たちは嫌な事があっても、反射的に怒っているのではなく、
出来事の意味を理解しようとしているうちに、
酷いと解釈(かいしゃく)することによって腹を立てるのです。

これは自分では自覚できないようなプロセスで為される(なされる)。

ネットや陰口などで誹謗中傷されている場合でも、
人は事実によって怒るのではなく、
それを酷い(ひどい)と『解釈(かいしゃく)』することによって、
「自ら(みずから)それをそのようなものにすることで」腹を立てているのです。

従って(したがって)、嫌な事があった時でも、それを酷いと解釈することは自滅行為です。
赦し(ゆるし)を選択することは、この酷いという解釈を消し去ることです。
  • エンジェル・ダスト
  • MAIL
  • 2025/01/03 (Fri) 08:16:51

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