この世界の起点(きてん)は過去から生じているのではなく、
この世界に干渉(かんしょう)するための門(ゲート)の向こう側であるあなたの心が原因となって生じている。
抽象的(ちゅうしょうてき)な形の無いあなたの心が投影(とうえい)されて、
結果である具体的(ぐたいてき)な形あるこの世界が生じている。
この具体的な形ある世界を目撃する以前に「何かが先行していたはず」である。
それは世界の起点である門(ゲート)での、あなたの心の中の、抽象的な形の無い、光か?闇か?の二者択一の選択肢である。
神が創造したままの神の子のオリジナルの光の心を選択するのか?
神の子の心から分離(ぶんり)してできたパロディーである自我の闇の心を選択するか?
心の中での抽象的な形の無い、光の心か?闇の心か?の選択が、
具体的な形ある世界に対する解釈(かいしゃく)の原因となる。
門(ゲート)であるあなたの心の中で自我の闇の心を選択するのなら、
この世界に欠乏、失敗、恐れの具体的な形あるものを体感することになるのです。
私たちは本当の原因である抽象的な形の無い自分の心の中に、この闇の心の欠乏を見たくありません。
それを恐れ憎んでいる具体的な形あるものとして世界の中に見て、
誰かがしたことや何かが原因で私は苦痛や不満を感じていると解釈するのである。
例えば彼の言ってる事は無価値だと裁いて(さばいて)欠乏の原因を外の世界に見ているのなら、
本当は自分の心の中で、欠乏である抽象的な形の無い闇の心が選択されているからである。
その心の門(ゲート)を通して欠乏というイリュージョン(幻想)の世界を見て、彼の言っていることは無価値だと解釈しているのである。
抽象的な形の無い闇の心が選択されて見えるイリュージョンの世界で手に入る、具体的な形あるものは全て夢、幻(まぼろし)である。
そこは底なしの欲望と欠乏感のイリュージョンに幻惑(げんわく)される世界である。
私たちは闇の心を選択することによる欠乏感や欲望から、
日常的な過食や暴食、それに伴う肥満や浪費癖に悩まされている。
オリジナルの光の心は赦し(ゆるし)である。
それはたとえ具体的な形ある世界の事実は変えなかったとしても、
どのようにそれが見えるのか?どのようにそれが感じられるか?
という世界についての解釈を、別な望ましいものに変える。
闇の世界の中で光の意味の解釈が可能になるのである。
結局のところ欲望や欠乏感や不満や苦痛というものは本人の解釈に依存しているからです。
心の中での、抽象的な形の無い、光か?闇か?の二者択一の選択肢
- エンジェル・ダスト
- 2025/11/25 (Tue) 14:09:52