【REVIVER(復活する者)】
世界と我々個人の起源について、
まず原初は神の心だけがあった。
神はひとりで居ることを望まなかったので神の子を創造した。
その際、神は自らの一切を神の子と分かち合った。永遠の生命、無限の喜び、不滅の絆、完全なる愛と平安。
それら神の性質の全てを受け継いでいる神が創造したままの神の子の心のことを私は「オリジナル」と呼ぶ。
私の言う『オリジナル』という単語には、
「本物」「敬意を払うべきもの」「オリジナルは偉大である」
といった意味合いが込められています。
天国に居た神の子の心に「小さな狂った考え」が生じた、
それが神の子の分離の想念であり、分離とは神とは異なった心や考えをすることができ、
神の子は神の子であることを辞めて、
自分で自分の思い通りの自己概念を作り上げることができるという幻想であった。
神が創造したままの神のひとり子(オリジナル)を、著作権の盗用と二次創作で作った自己概念(パロディー)が超えることが可能であるという幻想です。
「パロディー(自己概念)がオリジナル(神が創造したままの神のひとり子)を超えた!」
という幻想を達成するための場所がこの現実世界であり、それを私は可能世界と呼ぶ。
こうして我々はこの世界に誕生して人生経験の中で私であると信じている自己概念を形作っていくのである。
毎年2回開かれる同人誌即売会であるコミックマーケットで商業誌の人気漫画のキャラクターからの二次創作で自分の思い通りのパロディー漫画を販売することができる。
例えばオリジナルの「鬼滅の刃」のキャラクターをそのまま流用して、自分の好きな思い通りのストーリー展開やキャラクター関係のパロディー漫画を自分の作品として販売しても良いのです。
しかしその際いかに最高傑作と評価されたとしても「パロディー(二次創作)がオリジナル(本物)を超えた!」と思い込むことは滑稽である、という前提があります。
神が創造したままの神のひとり子の心(オリジナル)には永遠の生命、無限の喜び、不滅の絆、完全なる愛と平安という性質が備わっているが、
神を否定することで作り出された自己概念(パロディー)にはそれらの神の子の属性が失われている。
したがってこの世界の自己概念としての私たちは不完全で心に必ず欠けたところがあり、欠乏を満たすために神の愛の代替(レプリカ)としての本当の宝物をこの世界に求める。
神の愛の代替が手に入るという願望、
この可能世界で「パロディー(自己概念)がオリジナル(神が創造したままの神のひとり子)を超えた!」と証明できるという幻想を持っている。
しかし「可能世界は少しも可能ではなかった」
誰もが本当の宝物を見つけられないまま大人になる。
自己概念と一体化している度合いに応じて我々はジッタードール(心無きイライラ人形)となっていく。
これまでの人生経験によって作り上げた私だと信じているイメージが自己概念である。
自己概念(パロディ)とは幻想であり、それが実在しないというまさにその理由故に自己概念を保持するためには絶え間ない防衛を必要とする。
なぜなら些細な事で容易に自己概念は傷つくからです。
自分の自己概念を酷いものとして再定義しようと誹謗中傷してくる他者によっても傷つくが、
攻撃された際、自己概念を信じてそれと一体化している人は自己イメージを保つために他人の言葉から自分の心を防衛しようと心の壁を作る。
しかし真実には他者が誹謗中傷によって酷いものにするために他者がイメージしている私の自己概念も、私が自分で防衛しようと大切に保持して信じている自己概念も、どちらも等しく実在しない幻想である。
可能世界の中の自己概念であるというどこにも突破口のない悪夢を見ている私たちに神は完璧な救済措置を与えた。
神が創造したままの神のひとり子の心である「オリジナル」をこの地球上の全ての人の心の中に送ったのです。
私たちは失わぬようにと握りしめている自己概念(パロディー)を手放して、心の中の記憶を辿ることで神が創造したままの心である「オリジナル」に還って(かえって)一体化することができる。
私の作った私の自己概念(パロディー)は幻想であり本当は実在しない。
そして「オリジナル」だけが心の中に真に実在していて、「オリジナル」と融合することが蘇りであり復活である。
全ての人が私たちを永遠(とわ)に繋ぐ「不滅の絆」であるオリジナルを共有している、という完全なる対等性の認識に到達する。
REVIVER(復活する者)とは全ての人の内側に蘇ったオリジナルを認識する者のことである。
オリジナル(神が創造したままの神のひとり子)が私の心に蘇った時
約束は果たされる
”僕らはひとつになる”
【REVIVER(復活する者)】
- エンジェル・ダスト
- 2022/06/16 (Thu) 06:14:45