【自分の理屈の正当性よりも相手の幸せを優先する】
自分は何にも悪くないのにあの人のせいで甚大(じんだい)な苦痛を味わったと、
被害者意識に囚われている時、

それでも、
自分の理屈の正当性よりも、相手の幸せを願う気持ちがあれば、必ず赦す(ゆるす)ことができる。
  • エンジェル・ダスト
  • 2024/04/05 (Fri) 06:18:16
SNSの世界でありがちな承認欲求を叶える夢
私がかつてネットの世界で探求していたのが特別性の承認欲求であった。
特別性とは神からは拒まれた特別な承認をこの世界の他者に要求するというものです。

それはイリュージョン(幻影)の夢の世界が私の目の前に表れて、
その中で「より多くの何かを求める」ということ。
何が?かは問題ではない、より多くの何か、より多くでなければならない。
より多くの何か、それが私を満たしてくれるという妄想なのです。

私はもっと自分を高めればそれに到達できると思っていた。
つまり自分の程度の問題であって、
上出来な成果を出せるようになれば成功するというものでした。
成功に届かない場合は何かをもっとより多く高めれば届くようになるという妄想です。

イリュージョンの世界で手に入るものは幻であってつまり無です。
これが神からの「分離」によって手に入るとされた特別性の正体です。

SNSの世界でありがちな承認欲求を叶える夢とは、無を求めているにすぎない。
一体何を欲しがっていたのだろうか?フォロワーがもっとより多ければ、より多くの何かをSNSの世界に求める、これこそがイリュージョンの世界で無を求めるという縮図です。
自分の程度の問題ではなかったのです。
目的、つまりゴールの設定の問題だったのです。
神からの分離の肯定である特別性の承認欲求を求めるという妄想で始まるが行きつく先は無だと決まっているのです。

つまり徒労(とろう)です。
何もありはしないのです。
イリュージョンの世界、夢を見るとはそういうことです。
これが特別性の正体。
  • エンジェル・ダスト
  • 2024/04/05 (Fri) 17:38:53

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