【この世界にはからくりがある】
自分についてのネットのSNSの誹謗中傷を見る時、
見えているそのまんまに判断するなら、誹謗中傷を書いた人が悪い、と考えるのが普通だろう。

しかし、ここで解釈(かいしゃく)の訂正が必要になる。

私が誹謗中傷を見る時、実はその誹謗中傷と全く同じものが私の内側にある。
そして真の有害性はその内側の心の闇から生じる(しょうじる)。

私は酷い経験をしたと苦情を言うが、
同時に私の内側に、同じくらい酷い性質を持った直視(ちょくし)したくない深い心の闇がある。

「映写機(えいしゃき)である心の闇」が「スクリーンである世界」に投影(とうえい)されて映し出されて、
自分に対する誹謗中傷という形となって見えている。

したがって誹謗中傷を見て腹が立つ本当の原因は、
「スクリーンである世界」ではなく「映写機である自分の心の闇」の方にある。

見えている世界の他者を赦す(ゆるす)ことが、
映写機である自分の心の闇の投影力(とうえいりょく)を消し去ってくれる。
  • エンジェル・ダスト
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  • 2025/02/01 (Sat) 00:54:53
標(しるべ)
言葉によって傷ついたり腹が立つ原因は、相手の言葉の意味にあるのだと私は誤解していた。

気付くべきである。
その体験に私がした解釈(かいしゃく)は、私の無意識の「心の闇」の投影(とうえい)であったと。

「相手が私の心の触れて(ふれて)はいけないものに触れた。」
この解釈には訂正が必要である。

「彼が私の心に触れたのではない。
私が彼の言葉に私の無自覚(むじかく)の心の闇を投影したのだ。」

「私の心の闇を投影して、その体験を酷いと”解釈することで"、それをそのようなものにしたのは他ならぬ私自身である。」

彼の言葉を標(しるべ)として利用すべきである。
腹が立つ本当の原因は彼の言葉には無く、真の原因は無意識に行われている私の心の闇の投影にあった。

私はそのことに彼の言葉で気付いて、
彼は完全に無罪であると彼を赦す(ゆるす)ことで私自身が救われるのです。

赦した(ゆるした)者と 赦された者 同じ光を分け合って
  • エンジェル・ダスト
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  • 2025/02/08 (Sat) 06:39:43
赦し(ゆるし)の真髄(しんずい)
赦していない心の状態(じょうたい)で、
赦さないことを選択し続けるのはあまりにもeasy(イージー)です。

赦し(ゆるし)とは、
最初から赦している精神状態で、
何の抵抗もなく赦す(ゆるす)という簡単なものでもない。

嫌だった過去を思い出した瞬間というのは、常(つね)に赦していない精神状態です。

その赦してない精神状態においてこそ、
できるだけ早くそのことに気付いて相手を赦すという、自分の心を変える決断をすることが、
赦しの真骨頂(しんこっちょう)なのです。
  • エンジェル・ダスト
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  • 2025/03/02 (Sun) 03:09:25
新世界への扉を開く鍵(マスターキー)
私たちの正体は「たった一つの想念」である。

見かけの上辺(うわべ)はそうは見えず、
私たちは別個(べっこ)の分離(ぶんり)した肉体であるかのように見えている。

私が嫌な人、バカにしている人、蔑んでる人は、
私が認めたくない「私の一部(part of me)」を映す鏡です。

彼らを鏡に映った「私の一部(part of me)」であると正しく認識(にんしき)して、
彼らを赦す(ゆるす)ことで、「私の一部(part of me)」が赦され(ゆるされ)て、
失われていた絆(きずな)が復活する。

他者を「私の一部(part of me)」と見るという絆の認識は、
私たちが「たった一つの想念」へ復帰(ふっき)するための鍵(マスターキー)である。

私たちはその鍵で新世界への扉を開くことができる。
  • エンジェル・ダスト
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  • 2025/03/13 (Thu) 06:13:02
私たちの正体は「たった一つの想念(そうねん)」
私が気分が悪い時というのは、私の心の中の見たくない部分が疼いた(うずいた)時です。
この心の中の見たくない部分が「心の闇」です。

この不快感をもたらす見たくない「心の闇」を私の中から除外(じょがい)するために、
他者の中に私が嫌がってるものを見ることで、
私は私の心の闇に無自覚(むじかく)になる。

そして他者にされたことを私が嫌がることで、
その不快感の原因が他者にあるという錯覚(さっかく)を得ることができる。

それでも、その見たくない「心の闇」は他者のものではなく、
「私の心の一部(part of me)」であると正しく認識して、
彼らを完全に無罪であると赦す(ゆるす)ことで、
同時に私自身が赦され(ゆるされ)、
病んでいた「私の心の一部(part of me)」が癒される(いやされる)。

なぜなら私たちの正体は「たった一つの想念(そうねん)」であり、
目に映るもの全てが「私の心の一部(part of me)」だからです。

これを認識(にんしき)することで「私たちを永遠(とわ)に繋ぐ絆」が復活する。
  • エンジェル・ダスト
  • MAIL
  • 2025/03/16 (Sun) 07:55:12
【心の癒し(いやし)】
私についての誹謗中傷のネット掲示板に何が書いてあるか気になって見たくなった時、
実はその誹謗中傷と全く同じものが私の内側にある。

私がネット掲示板の私への誹謗中傷を見る直前に、
「何かがそれに先行していたはずである」。

それは私の無意識の「心の闇」の疼き(うずき)による不安と恐れです。
そして真の有害性はその私自身の内側の心の闇から生じる。

不安感に駆られて(かられて)掲示板を見る前に、内側を確認しよう。

そして誹謗中傷を書いた彼らを赦す(ゆるす)という自分の心を変える決断をすることで、
同時に私自身が赦されて(ゆるされて)、
原因である私の心が癒される(いやされる)。
  • エンジェル・ダスト
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  • 2025/03/21 (Fri) 06:08:26
ストレスホルモンである血中コルチゾールレベルを下げることで気分が快適になる
体内に慢性炎症(まんせいえんしょう)があると炎症を抑える(おさえる)為に、
ストレスホルモンである血中コルチゾール濃度が上昇する。
この血中コルチゾールレベルが常に高いと脳はストレスを感じる。

血中コルチゾールレベルが高くても短期間なら問題ないが、
慢性的に血中コルチゾールレベルが高いことはうつ病や統合失調症の原因になりうる。

つまり慢性炎症があると長期間コルチゾールレベルが高いままになってしまう。

慢性炎症は目に見えないが全身の臓器や血管にダメージを与えて脳も例外ではない。
慢性炎症を改善するには何かを摂取するよりも悪い物を身体に入れないことがより重要である。

砂糖、果糖ブドウ糖液糖、トランス脂肪酸、食品添加物、

これらを知らないうちに大量にずっと摂取していると慢性炎症になって、
血中コルチゾールレベルが高いままになり、脳はストレスを感じて精神疾患を発症しうる。
まさか悪しき(あしき)食習慣がストレスになって脳がダメージを受けているとは誰も思わないだろう。

人はネットの誹謗中傷や自分に対する悪口とかのストレスには敏感だが、
砂糖やトランス脂肪酸や添加物の摂取量はノーチェックであり、
どちらがより有害かというと脳へダイレクトに物理的影響を与える悪い食事の方がずっと悪質である。

悪い食習慣を止めて慢性炎症が軽減すれば炎症を抑えるためのコルチゾール分泌の必要量が減り、
血中コルチゾールレベルが低下することで、脳はストレスが減ったと判断して、気分が快適になる。
  • エンジェル・ダスト
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  • 2025/03/27 (Thu) 06:20:06
真にフェア(公平)な考え方
ネット掲示板の私についての誹謗中傷や悪口を見る時、
私自身の心の闇が映し出されたものとしてその掲示板は存在している。

誹謗中傷や悪口が効いてしまうのは、私自身にやましいところがあるからです。

だけどそのやましい心を私は見たくない。
それを認めてしまったら私の方が有罪であることを意味するからです。

罪は絶対に他人のものでなければならないという、間違った考え方を信じているからです。
私は無垢(むく)なる被害者で、あなたは罪ある加害者なのだ、と主張している私はアンフェア(不公平)です。

自分に対する誹謗中傷や悪口を見て、
腹が立つ、赦さない(ゆるさない)と、
「”解釈(かいしゃく)することによって”、それをそのようなものに自分でしている」が、私自身はそのことに気付いていない。

赦す(ゆるす)ことで、悪口や誹謗中傷を「可愛い(かわいい)よね」程度に解釈することが可能になる。

相手を赦し(ゆるし)、自分のやましさを赦す。
互いに罪は実在していなかった。
これこそが真にフェア(公平)な考え方です。
  • エンジェル・ダスト
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  • 2025/03/29 (Sat) 07:06:37
やましさと悪口
私が他人を批判したり他人の悪口を言う時、
本当は私の心の中のやましさを直視したくないのです。

私の心の中の見たくない部分、
それに触れたり、それについて言及(げんきゅう)してはいけないアンタッチャブルな絶対不可侵(ぜったいふかしん)の心の領域、
それがやましさです。

やましさがあると認めることは、私の方が有罪であるという意味だからです。
私にやましさがあると認めたくないから、私は他者への悪口や批判を手放したくないのです。

私が他人を批判したり悪口を言う時、
私は他者に罪があるということにフォーカスすることで、
一時的に自分のやましさから目を逸らすことができる。

他人を悪く言うことで自分のやましさを自分から隠しておくことができる、
という錯覚(さっかく)を得ることができる。

私の心のやましさが外の世界に映し出されて他人への悪口や批判となって出現している。
フォーカスすべきは他人への悪口や批判ではなく、自分の中のやましさです、それが本当の原因です。

他者を赦し(ゆるし)、自分のやましさを赦す(ゆるす)。

私の心の中のやましさが無くなることにより、
失わぬようにと握りしめていた他人の悪口や批判を言いたくなる必要性を手放すことができる。
  • エンジェル・ダスト
  • MAIL
  • 2025/03/31 (Mon) 09:12:45
力(ちから)ちゃうねん
心の内側の闇が外の世界に映し出されて問題となって見えている。

私たちは問題に直面(ちょくめん)した時、
腕力、知力、お金などの「力(ちから)」で問題を解決しようとする傾向にある。

お金の力(ちから)で健康になれるかというと、
健康に良い食べ物を買うよりも、健康に悪い食べ物を買わないことの方が3倍健康にとって重要である。
どの食品を避けるかは、知ってるか、知らないか、の知識の問題である。

「お金の力(ちから)ちゃうねん」

知能の指標(しひょう)としての学歴を信じているのも知力という力(ちから)に頼っている証(あかし)である。

その道をある程度進んだ人ならわかることですが。
「力(ちから)ちゃうねん」
「力(ちから)に頼ってるうちは初級者」

「もし宝くじで10億円当選すれば」と言うが、
「私にもっと大きな力(ちから)があれば」
と言っているのと同じである。

これは、世界とは心の闇が映し出されたものだということを知らないからです。

心の中の「赦し(ゆるし)が見えている世界を変える」。
そこに力(ちから)は必要無い。

私たちに力無き(ちからなき)者、持たざる者といった差異(さい)は実在しない。

真実とは力(ちから)に頼ることではない。
  • エンジェル・ダスト
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  • 2025/04/01 (Tue) 06:53:12

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