私は高校時代にカップ麺やお菓子の食べ過ぎによって引き起こされた、全身の慢性炎症の治療で使っていた薬の重篤な副作用で、クタクタに疲れていて極度のストレス状態にあったのです。
その過去が罪悪感、つまり心の闇となって私に憑りついて(とりついて)いるのです。
私はこの過去において達成できなかった理想への罪悪感からなる心の闇を直視したくない。
そして私は心の闇を感じてる苦痛から逃れる(のがれる)ために、親に罪悪感を感じさせようとして文句を言うのです。
その苦痛の本当の在りか(ありか)は「私の」心の闇であって、
本当はその罪悪が存在しない場所である親の中に「私の」罪を投影(とうえい)して文句を言うことで親を攻撃しているのです。
簡単に言うと無意識に「自分が苦しいのを人のせいにしてる」のが「私の」罪悪感を他人の中に見ようとする投影(とうえい)なのです。
これは上手くいかないのですが、したがって絶対に解決には至らず(いたらず)、何度でも繰り返されて、いつまでも文句を言い続けることになるのです。
この投影は無意識にかつ無自覚に行われているということと、
もう一つ仮に多少の気付きがあったとしても「それが重要なことだとは思わない」と、
その投影に注意を決して払わない、という2重の盾で守られていて、
投影は延々と繰り返され定期的に癇癪(かんしゃく)を起こしたり文句を言い続けることになるのです。
まず、「これは自分が苦しいのを人のせいにしてるんじゃないか」と気付き、
次に「思った以上に罪悪感の投影は重大なことだ」と、
罪悪感の投影に注意を払うことです。
そして「私の」罪悪感を親の中に見ようとするのを止める。
つまり親は完全に無罪であると赦す(ゆるす)ことで、私自身が赦され(ゆるされ)て、これが罪が実在しないという真実に至り(いたり)、
問題が根本的に解決するのです。
罪悪感の投影(とうえい)
- エンジェル・ダスト
- 2025/04/09 (Wed) 18:00:21