近過ぎて見えない奇跡
神が創造したままの神の子のオリジナルの「たった一つの想念(そうねん)」からの分離(ぶんり)が、
この世界と私たちの自我を作った。

分離による投影(とうえい)が作り出した時間と空間の中で起こる問題が、
それが自分との「宇宙開闢(うちゅうかいびゃく)137億年」という、
いかに巨大な隔たり(へだたり)であったとしても、
それは大袈裟(おおげさ)な見かけ上の演出(えんしゅつ)に過ぎない。

この世界の全ての問題の解決方法である奇跡(きせき)は、
自分の胸の心から距離ゼロ時間ゼロの、
今この瞬間という一体性の「たった一つの想念」の中で起こる。

私たちのオリジナルである「たった一つの想念」。
それは私たちの胸の心から距離ゼロ時間ゼロにある、近過ぎて見えない奇跡である。
  • エンジェル・ダスト
  • 2025/06/27 (Fri) 17:13:22
分かり合えない心の、途方もない「隔たり」こそが、投影の本質である
特別性の投影(とうえい)によって我々に見えている、数々(かずかず)の諸問題(しょもんだい)は、
他者との「心の隔たり(へだたり)」の中で起こる。

分かり合えない心の、途方(とほう)もない「隔たり」こそが、投影の本質(ほんしつ)である。

その問題は遡る(さかのぼる)と、場合によっては、
「宇宙開闢(うちゅうかいびゃく)137億年」という巨大な「隔たり」を起源(きげん)としている。
その他者との問題は、究極的には宇宙の始まりに戻って、初期条件を変えなければ訂正不可能(ていせいふかのう)だとされる。

しかし赦し(ゆるし)による間違いの訂正である、奇跡(きせき)の発動は、
自分の胸の心からゼロ距離ゼロ時間の、今この瞬間という一体性(いったいせい)の中で起こる。

投影による、厖大(ぼうだい)な時間と距離の巨大な「隔たり」という、他者との問題解決は、
一見途方もない「コスト(代価)」を要求するが、
赦しによる訂正は、ゼロ距離ゼロ時間「ゼロ・コスト」の、一体性と一致(いっち)の中で発動する。

このようにして特別性の投影による「隔たり」という他者との問題は、赦しの一体性の奇跡によって訂正される。
  • エンジェル・ダスト
  • 2025/06/30 (Mon) 15:15:34

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